オットセイの経営日誌

データサイエンス系ベンチャーを経営してます。経営のこと、趣味のことつぶやきます。

読書感想:仕事に効く教養としての「世界史」(出口治明)

著者の出口さんはライフネット生命社長/会長、現在は立命館アジア太平洋大学(APU)学長ということで、ビジネス界では超有名な方だが、歴史については本人もおっしゃられている通り素人。

世界史の本というと、ほとんどは学者の方が書かれたもの。
対してこの本は参考文献が1つもなく、「〜だったんだと思います」を連発されると、
居酒屋で聞かされる歴史好きのおっさんの話みたいだな(失礼)
と思ってしまいました。

まあ最後までその感想は変わらないんですが(笑)、
最終章まで読むと著者の伝えたかったことがよく分かり、単なる居酒屋話ではない(当たり前)メッセージを感じました。

以下、気になったところをかいつまんでメモ。
メッセージは序章と最終章に込められていて、真ん中にビジネス風に言うところのケーススタディがあり、「歴史の教科書にはこう書かれているが必ずしもその見方は正しくないぞ」という著者の視点が示されています。

まずは冒頭、そもそも歴史を学ぶ意義について。

ヘロドトスの冒頭の言葉を、意訳すると、次のようになると思います。 「人間は 性懲りもなく阿呆なことばかりやっている。いつも同じ失敗を繰り返している。だから、自分が世界中を回って見聞きしたことを、ここに書き留めておくから、これを読んで君たちは、阿呆なことを繰り返さないように、ちゃんと勉強しなさいよ」  すなわちヘロドトスは「先人に学べ、そして歴史を自分の武器とせよ」と、言いたかったのだと思います。そしてそれは僕の思いでもあります。

これはよく言われていることで、僕も遅まきながらこの意義に気づき、いくつか歴史本を読んで現代の出来事の理解に活用するようにしています。
一言で言えば「馬鹿な人間がやることっていつも変わらないよね」ということ。人間が動くときの論理は数パターンに限られる。

さて、次に、中盤のケーススタディから面白いと感じた箇所について。たくさんありますが、ここでは2つに絞ります。

まず、なぜアメリカやアフリカ大陸ではなく、ユーラシア大陸が最初に発展したのかを地理的特性から考察したもの。
人間の動き方・考え方の成り立ちを紐解いていくと最後は「気候」にたどり着くことが多くて、面白いなと思っているので取り上げます。

また、生態系は横( 東西)には広がりやすく、縦( 南北)には広がりにくい性質を持っています。  まず縦移動を考えてみると、気候の変化が大きい。たとえば、南北アメリカは北極に近いアラスカから南極に近いフェゴ島まで続き、中央アメリカのパナマ海峡でつながっていますが、あのあたりは熱帯地域で、しかも狭い。また熱帯には多くの病原菌が群棲しています。そのために、北のアメリカと南のアメリカでは人の移動が少なく、交易が難しかった。人間は刺激がないと知恵は生まれません。南北アメリカでは、ユーラシアに比べてなぜ文明の始まりが遅れたのか、その大きな要因は人の移動が困難だった、生態系が閉じられていたという点に求められると思います。  一方でユーラシアは、どこまでも横に移動できるので、中国とインドとメソポタミアとエジプトは連携( 交易)することができました。お互いに刺激を受けつつ文明が早く始まった。横移動は、縦移動に比べ、ほぼ同じ気候条件で移動できるという点で圧倒的に有利なのです。

気候が違うと人の気質も違う、だから縦に長い国はよく喧嘩する、とはよく言われますが、
横に長い方が人の往来が容易で刺激が伝播しやすい、というのはなるほどと思いました。

そして、この本の中で最も興味深いと思ったのはアメリカの考察でした。「人間の当たり前の心情を断ち切った国」として取り上げられています。

ピルグリム・ファーザーズは、清教徒です。英国は清教徒にも寛大な国です。誰でもいいからロンドンに来てくれたら、ウェルカムだという考え方が英国にはあります。何か英国にとって利益になってくれればそれでいいよ、というウィンブルドン現象をよしとしている国ですが、そういう自由な国ですら嫌だと言って新大陸にやって来たのが、ピルグリム・ファーザーズですから、いわば理想に対してかなり原理主義的な人々です。こういう原理主義的な人々が、アメリカの 礎 を築いたこともあって、結局アメリカは、原理主義的な理想が明文化されて、英国にはない成文憲法を成り立ちとする契約国家になりました。  現在のアメリカを主導する人々は、俗に WASP と言われています。ホワイトで、アングロ・サクソンで、プロテスタントの人々です。アメリカの大統領は聖書に手を置いて就任の宣誓をします。しかし聖書がアメリカのバックボーンになっているのではなく、アメリカのバックボーンになっているのは成文憲法です。だから、アメリカは世界でも珍しい人工国家であると思うのです。憲法、契約というか、人間の理性を国の根幹に置いている不思議な国家であるような気がします。
(中略)
たとえばアメリカでは、銃を持つことが憲法で認められています。個人が銃を持つことは、アメリカ建国以来の理念であるといった議論が、大真面目で語られます。あるいは過去に禁酒法をつくったこともありました。確かに飲酒はよくないかもしれませんが、それを法律で決めるのは明らかにイデオロギー過剰です。アメリカという国家が人間の理性を、どう考えているかは、たとえば禁酒法に典型的に表われていると思います。
(中略)
そういう意味では、アメリカが人工国家であることが、アメリカンドリームという幻想の母体になっている気がします。アメリカに行けば、実力さえあれば、この人のように成り上がることができる。それは人工国家だからです。伝統があったら、なかなかそうはいかない。たとえば日本では、三代住んでいなければ江戸っ子とは言えない、とか。  アメリカンドリームの実現は、実際は、針の穴ほど小さいと思うのですが、どこの国に生まれてもアメリカの大学に行って勉強して、努力すれば成り上がれるという幻想を世界中に振りまいていることが、アメリカの強みです。人工国家で伝統がない強みです。

アメリカは経済的にはワールドスタンダードですが、国の成り立ちとしてはとても特異であるということ。
著者はアメリカを批判するばかりではないですが、世界で様々な問題を引き起こしているのは、伝統がない国ならではの理念・理屈の押し付けに起因する、と言っています。
確かにこれまではそうだったなと思いつつ、今の若い人はどういう考えを持っていて、これからはどうなっていくのか?ということも考えてみたくなります。
アメリカの特異性については、なぜ大統領が尊敬されるのかという観点から、以下のようにも述べられています。

人間は、伝統や権威に弱い動物です。
(中略)
どのような国でも、伝統を拠り所にして、それを持ち出します。ムッソリーニローマ帝国プーチンは偉大なロシアといった具合です。日本人でも、御先祖様の話をするのが好きな人が結構います。自分は何々の一族ですとか。自慢したいというより、人間は元来そういう動物だという気がします。やはり人間の究極の問いは、自分がどこから来たのか、どこへ行くのかということで、そこを 遡っていくと、アメリカでは最後は憲法と大統領になるのでしょう。

むむ。分かるような、分からないような。
「自分がどこから来たのか、どこへ行くのか」なんて、母親の子宮から来て最後は灰になる、それ以外に何があると思いますが。
そうは思わない人が今後も多数派である続けるのかどうか。

僕は30代前半で、まあ日本の通勤電車に乗ってる人の平均年齢からは10-20歳くらい若いでしょうから若者気取りで発言すると、
若い人には「俺たち私たち日本人」という発想はあまりないのではないのかなと。
国民国家の枠組みは幻想だと気付いている人もいれば、気付いていないが重要とも思わずにスルーしている人も多いと思います。
また、これはいつか揺り戻しがあるかもしれませんが、伝統や権威を悪と見て、良くも悪くも毛嫌いする風潮もあると思います。

そう思うと、今後はアメリカ型の理念・理屈を前面に押し出すスタイルが主流になっていくのではないかと思っています。
同時に、宗教とか国家とかのこれまで拠り所となっていたものが希薄になっていき、一方でオンライン/オフラインコミュニティの果たす重要性は益々増していくのではないかと。
そんなことを思いました。

そして最後に、著者がこの本を通じて伝えたかったこと。

歴史を見ると、自分の好きな仕事をやって順調に出世するなんて奇跡に近いことです。昇進人事で敗れたり、左遷されたりすることが、むしろ 日常茶飯事 です。しかもそれらは、多くの場合、自分の意欲や能力に関係なく、王様( 上司)の巡り合わせや仕事上の思いがけないトラブルなどに起因します。人生は青写真どおりにはいかない、運や偶然に振り回されてむしろ当然なのです。
(中略)
歴史を学ぶことが「仕事に効く」のは、仕事をしていくうえでの具体的なノウハウが得られる、といった意味ではありません。 負け戦 をニヤリと受け止められるような、骨太の知性を身につけてほしいという思いからでした。そのことはまた、多少の成功で舞い上がってしまうような幼さを捨ててほしいということでもありました。「自分が生まれる前のことについて無知でいることは、ずっと子どものままでいること」( キケロ)なのです。

本のタイトルの「仕事に効く」は、具体的な仕事のノウハウが得られるということではなく、人生は運や偶然でうまくいったりいかなかったりするものだから、仕事もそのくらいの気構えで受け止めて乗り越えていけ、という意味でした。なるほどね。


偶然か必然か、石川善樹さんの本に続いてメッセージにレジリエンスが含まれていました。
個々人がレジリエントでないとこの先乗り越えられないよ、という声が沸々と聞こえてきている気がします。